立ち回りの教訓カテゴリー、前回のブログ記事では私が大学院に行っていた1993年から1995年に掛けて、パチスロ「ニューパルサー」で立ち回っていた時期のことを書きました(前回のブログ記事「パチスロ「ニューパルサー」で立ち回りの王道を実践」はこちら)。今回の記事では大学院を卒業し、就職してからのパチスロの立ち回り状況を書きたいと思います。
私は1995年の春に大学院を卒業し、某電気メーカーに就職しました。配属されたのは、その後約10年間過ごすことになる新潟県N市の工場でした。
この年の秋にアルゼから攻略要素満載のパチスロ機が登場します。クランキーコンドルです。このパチスロ機の登場でパチスロ4号機はニューパルサーに代表される大量リーチ目搭載機のブームが終わり、攻略法全盛の時代に突入していきます。
クランキーコンドルは、プレーヤーがリプレーはずしやDDTなどの攻略法を使うことを最初から想定して作られた画期的なパチスロ機でした。攻略法を使うか、使わないかで収支にかなりの影響が出る仕様になっていました。なにせ、フル攻略で打てば設定1でも機械割が100%を超える、とんでもないパチスロ機でした。
当然、私もクランキーコンドルに飛びつきました。1995年の春くらいまではニューパルサーで設定判別を駆使してうまく立ち回っていましたが、この時期からパチンコ店の換金率が上がり始め(等価交換のパチンコ店も出始めていました)、設定5、6の高設定台がそう簡単には掴めなくなっていました。パチスロの収支がこの年の春から秋に掛けてマイナスが続いていましたから、クランキーコンドルの登場は渡りに船といった感じでした。
当時のクランキーコンドルの立ち回りですが、サラリーマンになったため平日は夜からしかパチンコ店へ行けませんので、メインは休日に終日パチスロを打つといった感じになりました。平日は夜からパチンコ店に行って、データ表示器を見てなるべく設定が高そうな台を打つといった立ち回りをしていました。いくら攻略法があるといっても、夜の短時間勝負で低設定台を打ったらパチスロで負けるのは目に見えてますからね。平日は勝負というよりも休日の高設定台の予想のために、毎日の高設定(と思われる)台の配置の変化を確認する目的でパチンコ店に行っていました。残業で遅くなってデータだけ見て帰る日も結構ありました。
勝負の休日ですが、朝は開店前からパチンコ店に並び、取りあえずはモーニング取りを行いました。モーニングが取れたらしばらくその台で様子見、モーニングが取れなかったら自分が予想した高設定台で粘ってみるといった立ち回りをしていました。クランキーコンドルは設定判別ができましたが、設定6以外はわかりませんでしたのでやるだけ無駄でした。私が通っていたパチンコ店は換金率6枚交換だったので、クランキーコンドルの激甘スペックで設定6が入ることは、イベント以外ではまずありませんでしたから。とにかく設定3以上の台の配置を予測することが重要でした。
高設定台の予測といっても、当時そのパチンコ店に設置されていたデータ表示器はBIGボーナス回数しか表示されないものでしたから、BIGボーナスの多い少ないしかわかりませんでした。幸い、その店は毎日前日のパチスロ各コーナーの差玉ランキングを表示していてくれたので、BIG回数と差玉からおおよそ設定が良いかどうかはわかりました。
当時そのパチンコ店にはクランキーコンドルが10台設置されていて、私は差玉トップ3の台の配置を毎日メモ帳に記録して、高設定台の配置の日々の変化を追うようにしていました。この高設定台の配置予想のおかげで、休日のクランキーコンドルの立ち回りでは、自分の打った総回転数とBIG回数から計算すると平均設定3〜4の台を打つことができました。パチスロの収支も月10〜15万ほどのプラスに持って行くことができました。この結果は当然攻略法をフルに使っての結果ですが、設定5、6が打てなくても何とかなるクランキーコンドルの安定性は抜群でした。
私はその後4年程、クランキーコンドル、タコスロ、ゲッターマウス、サンダーV、花火といったアルゼ、エレコ系の攻略効果が高い台ばかり打ってゆくことになります。次回のブログ記事ではこれらの台での立ち回りについて書こうと思います。
今日はここまで。