立ち回りの教訓カテゴリー、前回のブログ記事では1990年代前半のパチンコ攻略法を実践した立ち回りのまとめを行いました(前回の記事「パチンコ攻略法の実践から得た教訓」はこちら)。今回は私がパチスロを打ち始めたころの話をしたいと思います。
私がパチスロを打ち始めたのは1990年の暮れ辺りからです。このころは朝一単発回し攻略法を実践していたデジパチのレクサスVが通っていた店から無くなり、これからどうやってパチンコで立ち回って行こうか迷っていた時期でした。
稼ぎ頭のビックシューターはまだその店にはあったのですが、周囲のパチンコ店からはどんどん撤去され始めていました。ビックシューター以外に軸になるようなパチンコ台は西陣の「ファンキーセブン」くらいで、ファンキーセブンも別に攻略法があったわけではなく、ただ相性が良くて打っていただけなので、この時期はかなり不安が募っていました。
ちなみに、このファンキーセブンは私にとってはとても思い出深い台です。このパチンコ台はきれいな7セグが印象的な台で、大当たりがかなり偏って発生するデジパチでした。妙に100回転以内で連チャンする台でしたが(100回転以内に8連チャンしたことがあります)、当時のパチンコ雑誌の解析記事を見ても特に怪しいところが無く、パチンコファンの間では連チャンする仕組みについていろんな噂が囁かれていました。
レクサスVが無くなってから、2ヶ月ほどはファンキーセブンの大当たり即止め台や良く連チャンしている台を打って運良く30万程稼げていました。私が打ったパチンコ台の中で、大当たりの波だけであれほど面白いと思ったデジパチは他にありません。できることなら、もう一度打ってみたいパチンコ台です。
さて、次の軸になるパチンコ台を探していたこの時期、パチスロ界に1台の巨星が登場します。あの「コンチネンタル」です。私をパチスロの世界へ導いた台です。
この時期はパチスロが2号機から3号機へ移行する時期で、各社から次々に新機種が登場していました。しかも、ほとんどすべてが裏モノの連チャン機です。その中でもコンチネンタルは一番の注目株でした。
パチンコの方でなかなか良い台を見つけられなかった私は、パチスロに挑戦してみることにしました。目押しも出来ず、リーチ目も全くわからない状態で、行きつけのパチンコ店の近くにあった、新装開店のパチスロ専門店に行きました。そして、その店で始めて触ったパチスロ台がコンチネンタルだったのです。
最初はリーチ目がわからないので、目押しの練習も兼ねて毎回全リール7狙いをしながら打っていました。7絵柄は見えるのですが、枠の中に7を止めることがなかなか出来ませんでした。毎回目押しですから、1分間に4〜5回転しか回せないような状態でした。
そしてゆっくり5000円程打ったところで、目押ししたらいきなりビックボーナスが揃ってしまいました。びっくりして、あのけたたましいファンファーレを呆然として数秒間聞いていたのを憶えています。隣の人に睨まれてしまいました。
ボーナス終了後は運良く連チャンに突入し、トータルでビック7連チャンを獲得しました。当時のパチンコでは決して味わうことができない怒濤の大当たりの連チャンにすっかりしびれてしまいました。その日は結局、その連チャン分のコインを流して、かなり興奮して家に帰ったのを憶えています。
このパチスロ「コンチネンタル」との衝撃的な出会いで、私はパチスロにのめり込んで行くことになります。次回のブログ記事からはしばらくコンチネンタルに始まるパチスロ3号機時代の私の立ち回りについて書いて行こうと思います。