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パチスロ3号機の立ち回りで爆死

 立ち回りの教訓カテゴリー、前回のブログ記事では、コンチネンタルの立ち回りで苦戦したことを書きました(前回のブログ記事「パチスロ「コンチ」の立ち回りで苦戦」はこちら)。1991年の夏くらいにコンチがノーマル化し出してから、別のパチスロ3号機に手を出していきました。しかし苦戦の連続となります。

 コンチの次に手を出したパチスロ機は「ビッグベンハー」でした。絵柄違いの兄弟機に「ドリームセブン」というパチスロ機もありましたが、私がいた地域ではなぜかビッグベンハーが連チャン機で、ドリームセブンがノーマル機として設置されていました。当然、打ったのはビッグベンハーです。

 ビッグベンハーは一撃での連チャンの威力はコンチには敵いませんでしたが、連チャン突入率はかなり良いという感じでした。また、リーチ目のほとんどが中リールのすべりを伴うもので、パチスロの目押しに慣れてきた当時の私にとっては、打っていてとても面白い台でした。

 しかし、楽しめたとは言っても、パチスロの収支は安定せず、負け越していました。この時期はビッグベンハー以外のパチスロ機として、ストック式連チャン機の「ワイルドキャッツ」や「デートライン銀河」、注射で連チャンが復活したコンチ、状態バージョンのドリームセブンJrなどにも手を出していましたが、パチスロの収支はすべて負け越してしまいました。

 結局、パチスロを打ち始めてから、年が明けて1992年3月くらいまでの約1年間、裏モノパチスロ3号機ばかり打って150万円ほどの負債を築いてしまいました。パチスロを打つ前のパチンコでの儲けはすべて使い果たし、兄から借金までしてパチスロを打っているような状態でした。本当にひどい状態でした。

 この時期を振り返ると、裏モノパチスロの魅力と怖さの2つを同時味わった時期だったと言えます。やはり、裏モノパチスロの連チャンのコイン増加を一度味わってしまうと病みつきになりますし、勝つときは大きく勝てます。この時期はパチンコはかったるくて打てない状態でした。しかし、裏モノはやはりプログラムの中身が不透明で、設定差を見抜けるような立ち回りのポイントがなかなか掴めませんでした。この時期はただ連チャンを期待して、リスクも考えずに無謀な勝負を挑んでいただけでした。これでは勝てません。

 このパチスロ3号機時代の酷い立ち回りの教訓は「中身のわからない台に手を出すな!」です。

 結局、1992年の4月になって、パチンコとパチスロを一時止めることにしました(止めたとは言うものの、パチンコで攻略法が使えたブラボーキングダムやモーニング狙いができたアレジンとエキサイトは極たまに打っていました)。資金が厳しくなったのと、大学卒業まで残り1年となり、就職活動、大学院入試の試験勉強、卒業研究を同時に進めてゆくことになり、忙しかったためです。再びパチンコ、パチスロを本格的に打ち出したのは1年後のことです。そして、復活のきっかけとなるパチスロ機と出会います。その話は次回書きたいと思います。

今日はここまで。





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